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posted by いしだま
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友人
わかりやすい事例を挙げてみよう。
例えば、生と死。

あなたが死んでこの世界からいなくなったそのときに泣く行為は
あなたの友人である証明にはならない。



あなたが死んでこの世界からいなくなった後も
あなたが生きている今と同じこの世界を生き

いなくなったあなたからの
物理的なアプローチから派生していたものを差し引いた後

生きている者が新しく得ていくものの間に
あなたが生きている今と同じように
もちろんいつもではなく、点滅しながら
その心にあなたを浮かべる人こそがあなたの友人であるのだろう、と思う。



生から死への変化、というのは
変わらない、続いていく毎日という我々が随分と馴染んだ幻想状態からの
劇的な断絶、衝撃的な乖離である。

大きさは異なれど波が起こって当然なのだ。
それらに舟は揺れる。

それに伴う涙や叫びなどはただの生理的な反射であり
どの段階で泣き、または叫ぶのかというのは単純に
個人差であるのだと思う。
心の中のみで驚く人や
これとは違う、けれどもとても似た事例を積み重ねたが故に
反射行動が起こらない人もいるだろう。



あなたの
生あるときも
死する後も

もっと言うならば
あなたが
私の認知出来る範囲にいるときも
いなくなったときも

私という変化していく大きな収納物の中に
変わらずあなたをいだき、時に取り出す。
それこそが、私にとっての友人の証明である。
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posted by いしだま
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