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愛すべき娘たち
どーも、いしだまです。
朝の空気が変わってきました。
秋混じりのものに。

年取れば取るほど
なんだか世界の美しさを分かるようになってきた。

空の青さに愕然とする夏 IN いしだまな毎日です。

動物のような目で世界を見て
人間の心で世界を受ける
そういうのがいいな。





なんだかいいなと思う感性をもっている人が数日前
愛すべき娘たちの英訳をもじったタイトルの日記を書いていて
タイトルを見た瞬間に相当ドキッとしました。

その方の日記におコメくっつけようか思って複数日、文章考えていたのですが
カタカタカタカタ書いたり消したり戻ったりしていたら
とっちらかってしまうし、文章は長いし、で。
もういっそ私も日記にすることにしました。わはは。



表題の作品。
つい先日、友人が貸してくれまして読んだばかりでした。

友人は「これ、いいよ。あなたは好きだとおもう、読んでみて。」と言いました。

読み終えて
この本と私を結んで出会わせてくれた友人に、感謝しました。

とても、素晴らしい作品でした。

すでにもう、何度も何度も読み返し
そして、友人が私にしてくれたように
この作品を読ませたい人が浮かび、新たに手渡しました。

手渡した人は、私とあまり折り合いのよくない母です。
根本的にわたしとは、感性の違う母。
同じような頑固さでぶつかり合う私と母。
いつも私より先に泣いてしまい、私の言葉や思いは受け取らない母。

でも
彼女にも同じようなやるせなさが私に対してある。
どちらかのせいだけではない。
あたりまえだ。
一人の人間の目線にすべて捉え処理が出来るはずがないほど、ひとつの人生は多量の情報ををたたえている。

でも、分かってほしいと押し付けてばかりいた。
満たされたいと、何がほしいかも分からず喚いていた。
私は母に。
そして母は私に。

分からないことのほうが断然多いのだと、思い至りもしないわがままな子供の駄々コネのようにお互いぶつけ合って。


私も母も、あほだ。
だけど、そういうところがあってもそれはいいのだ。


私が感じたような救いが、何かが彼女にも伝わるかもしれない、と
可能性を感じてトライせざるを得ないような気持ちになるほど
素晴らしい作品でした。


特に、5話を読むと
飲み込めなかった様々な不条理を、矛盾を
許されたような、許したいような気持ちになります。



不条理すら、矛盾すら
この世には居場所があるのだ、と。



矛盾という、回るぐるぐるは
いつかとろけて形をなくして
美味しい美味しいバターになるかもしれません。
よしながさんの作品のように。


ほんとにみんな、にくったらしかったり、もてあましたり
でも愛らしい。
胸がじわじわします。
涙みたいに。






振り返ればわたしは
世界をすぐに、わけ隔ててしまっている。

好いたものを、宝と認識したものを
わが身のなかにかき抱いて
孕んだままの、臨月の来ぬごとき様にできたら、と
自分の都合のよいときにいつでも感じることが出来るよういたい、と傲慢な夢想をするような
そういう狭さが、資質としてわたしにはあります。

世によく語られることのある感覚としてなら
男性が、愛する妻を
真綿のような縛りごとで
家の中に閉じ込めてしまうような
そういう偏狭な、恐れを
多かれ少なかれ私も彼らと同じように持っているのだと思います。


私がこうでありたいと思う生き方では、そんな傲慢なこと、出来もしないはずなのに。
実際には、傲慢だったのです。
こうでありたい、というのはあくまで理想で実感ではないものだったのだと気付き苦笑う。



関係性の変化。

私が、一生変わらぬであろうと自惚れていた関係性は
振り返ってみれば
たった数年で腐ったようになってゆき
寂しさゆえに関係名だけをだましだまし続けてみても
やはりそれは終わりを迎えました。

自分の時間も相手の時間も
大事にしてあげることが出来なかった、という後悔と痛みをを
私はこの一生の間に、何度もクリアに思い出すのだろうな、と思う
苦い経験でした。


それ以来
循環を止めることで変わらない関係性など
互いが意思疎通しあえる生き物同士である限りないのだと、思うに至っております。

どうやら、腐ってしまう。


だけど、その関係性が腐り落ちても
お互いがまだこの世界に生きていて
かの形ではなくなったが今でも
お互いを気にかけ、大切にはしている。

新しい関係性が芽を出していたのだと、茂り始めた葉を見て気付くのです。
実は続いていた、と。


季節のように
手放すことが
変化することの美しさそのものを
循環し続けることを連れて来るように

相手にとって
自分もそのように変化し続けることが出来るならば
自分にとっても
相手がそのように変化し続けるのであれば

関係性は変わりながらも
グラデーションしながらも
点滅しながらも
繋がっていられるのではないだろうか、と。

出会ったものと繋がること。
それ以上のものは、実はないのではないだろうか、と。

そんな風に、近頃は思います。


失う痛みが、より多くほしいなんて思わないけれど
もう、その痛みを捻じ曲げることもしたくはないな、と思うのです。



すれ違うだけのものでなく出会ったのならば
そこでできた項目は
今まで私の中から消えたことはない。

たとえば死が決定的に別つとしても
届かなくても、抱き続けるのは私の自由なら。
私の中からは、消えることがないのなら。

君と繋がっていた糸を、捨てないで持ち続けるのも私の自由なら。
私の中からは、消えることがないのなら。



覚悟をしてみても、痛みはなくならないけれど
その先が見えるなら、その痛みは悲しいだけではなくなった。

生まれて死ぬまでの間は
私の中に増えて行くことしかないのだと思ったのです。



手をつなぎたいです。
たとえ、この手と手が離れたからとて
つないだことを、その温度のうれしさやかなしさを
忘れないとでよいのだと分かった。

手をつないでいたときの、素晴らしさを覚えていて
その意味が自分の中でずっと続くなら。

それがたとえ、独りよがりでも。
時間が過ぎて、その糸が本当はもうどこにも繋がらなくなった糸だとしても。


変わると知っていても
私は今あなたとやっぱり手を繋ぎたい。
わくわくと弾む心は
互いを知ることで
時間が過ぎることで
僕らの形をゆっくり変えて行くと知っていても。
呼吸をするたび、泣き出しそうな胸のふるえが待っていても。




生きている間にしか出来ないことに踏み出すことを、もう一生していたいです。
くじけそうでも、もう一生していたいと思うのです。
死んでしまうまで、生きて行く間、もうずっとそうしていたい。


どんなに憎らしくても、あなたの手が今暖かいことが
こんなにも、かけがえがない。
どんなに言葉が通じなくても、あなたの手が今暖かいことで
やっぱり涙が出るくらい、胸が震える。

あなたの自分勝手に腹は立つけど、それでも
そこで生きていてくれるだけで、それは光るよ。


終わらないで、終わらないでとどれだけ願っても
終わる光なら。




あぁ
なんだかスピカが
もっと深く
震えて響く夜。

愛したいや、もう。
時間は限られているなら。
この手は差し出すだけじゃなく、もう握るよ。
離れても、覚えてるよ。
それしか出来ないよ。




それでいいんだよ。


いしだまでした。
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posted by いしだま
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